すずりはさくらの本棚

すずりはさくらの本棚

私にとってのリラックスとは、「マイナーな思考に寄り添い、その思考に酔うこと」です。正直、「この程度で騙されてくれるのか。ラッキー」と思うことがよくあります。

私にとってのリラックスとは、「マイナーな思考に寄り添い、その思考に酔うこと」です。正直、「この程度で騙されてくれるのか。ラッキー」と思うことがよくあります。その度にビジネス書を読み、新たな知識を手に入れます。そうして次第に出来上がるのが「無償提供の闇」です。返さなければ痛烈な思いをするよ。この思考ルーチンは、最初は数万円から始まり、気が付けば酷似した事態に陥るのです。

人は不幸の中で生きていると、「気まずい」雰囲気を擁護しようとします。これが平成だったと言えるでしょう。不幸が寄り添いながらついてくる時代。それでも人々は、この不幸を乗り切れば幸福になれると信じているのです。つまり、「彼女たちの中で起きている事象」とは何なのでしょうか?それは、さまざまな原理原則です。私は嫌われていようが無関係に贈呈品を添付します。無償提供とは、与え続ければ与えた分の倍が返ってくるものです。与えない者には痛烈な思い出を与え続けました。物を与えても寄与しない時代はいりません。「どうせ帰ってくるから与えよう」と思うのです。

つまり、「コミュニケーション」とは、社会生活を営む中で「諍えない心理描写の連続」となる。それを「窮屈」と人は呼びます。ネットワーキングにおいて、「電話に出ない」「メールに基本的には対応しない」。一年間に数回は新メールを作成し、過去のメールアドレスを破棄する。人とは「この簡単なワークを避けたがる生き物」です。例えば、あれだけ苦労したのに、あれだけの思い出があるのに、と言いますが、正直そんな思いはないに等しいのです。価値が等しくなければ調整します。人間社会において、その社会性とは真偽を問えないものです。与えたものよりも少なければ、まったく与えなくする。または全然異なる場所に配信します。それが基礎です。返さない人は世の中にいるもので、「まったく返さないふてぶてしい人間」が存在するのです。そのような人間に対しては、利子を返してもらうまでは「SNS」を通して仕事すら与えません。このような手法を通して現在の「匿名・流動型犯罪グループ」が成立し始めます。二十年前もしくは三十年前から基礎として売り込んできたノウハウは、「情報が新しくなり続ければ」新規事業として認められ、売れ筋も情報に対して金融機関より振り込みが続けられるので、「森羅万象」の如く、等しく悪に染まりながら、「意識革命」を行い続けたのです。

一番最初に覚えた知識、法的対応:「寸借詐欺がなくならない世界」

一番最初に覚えた知識、法的対応:「寸借詐欺がなくならない世界」。対処方法:「罪人の意識の芽生え、罪としての意識、認識は人から人へ。介在という忠義」。人を以って齎された知識とは権威あるものである。それにも関わらず、知識の前に人は躓くものである。これは簡単に言えば、知識の前に人は跪くという思考ルーチンである。ただし、この段階では代替案にしかならない。人が何を語っても信用に足る要因とはならない。だからこそ、人が人たる者として成果を収め、信用を一夜城ではなく数年に渡り、信用が足るものとしての覚書を啓発し続けることにより、それは一夜城ではなくなる。そうして、人を落としめんが為に信用を重ねてきた際に、人は死ぬまで忠実な奴隷となる。これは私の中での現実であり、今まで裏切り続けてきた人間とは、こうした「人間」であった。信用してプレゼントを贈り続けて、贈呈の中で死に絶えた。だから私は金持ちになれた。

独学とマイペースな自分に見合った勉強方法「みんなで何々するが苦手だった。」

独学とマイペースな自分に見合った勉強方法「みんなで何々するが苦手だった。」ので、独学ですべて学習した。当時のインターネットADSLがまだ普及していない時代。ISDNでした。パソコンに触れたことがない時代へ。世間の大人たちが機械に対して難色を示した時代。自分だけこれをやれば「すば抜けた成果が出る」と思ったから。この時初めて感じた両親の愛:「なるほど。父親は苦労したから、勉強と自分が独学で得た知識(父親は「コンピュータプログラマーの資格いわゆる情報処理」)を、母親は「保険の約款とセールスレディーにて、そして若い頃に取得した指圧の免許」を与えたかったことに気付く。」それまではどうして、世間と両親が勉強勉強といっているのかが理解できなかった。しかし、アルバイト雑誌を見てもどう考えても、資格:高校卒業は必須になる未来しかなかった。そこで大検を受検した。そのための勉強はすべて独学でした。当時も今もですが「ウェブ上にはたくさんの失敗をされて『いま』努力をしている方しかいなかった。恵まれていたんだと思います。」そのために、本屋へ行きやるべき指針は意外と簡単に立った。小学校からの勉強の復習。自分の取り柄と知識を活かせるお仕事を模索。最初からアルゴリズムに興味を示したわけではない。最初は休みの日には「ウェブページを作成できるようになりたい」。そんな考えから参考書を購入し始める。それにプラスして小学校と中学校の勉強もしました。21歳までには「やりたい事」は決まり、本の虫となる。本ばかり読んでいました。六法を買ったのもこの頃でした。しかし、カタカナばかりで「アメニモマケズ(宮沢賢治)」を読んでいるようで嫌気が差して。口語訳刑法と口語訳民法を購入しました。チェックマーカーで線を引いて、色で塗られた場所が見えなくなる暗記法をしよう。マークシートを当てると文字が見えます。この勉強法が当時は好きでした。なんだか、ゲームを本で解いている気分。その合間にも道理や思想の本も購入して「若い内にしか買えない苦労」をします。27歳くらいまでに、「みんなが何を勉強して、何を習得するのかを模索。」私の人生とは、ずっと機械学習のように「探索型」なのだと把握しました。ある程度の刑法と民法を覚えて、自分でwiki文法も使用してホームページを作成。500GBまでならば、「無料で」作成できる場所が当時は山のようにありました。今ですと、月額プラスドメイン料までかかります。それでも作れない場合は、他者へとお願いします。時間だけはありましたから、その時間を使用して、ウェブ内ではある程度の自由が利くようになりました。その頃、流行していたのが「Winny(P2P技術の普及)」でした。金子氏原案のプログラムです。そこで情報の共有を果たしながら、未来への貯金を少しします。「ダイヤルQ2の時代の人間なので、自分がそういったことには長けている、少なくとも知識の上では劣らない事を磨きました。ダイヤルQ2ではその連絡網と女性関係を意識して、「10代」の頃にしかできないことをやり遂げました。20代になったらみんなが1,000万円は軽く稼いでいるんだという意識はありました。今から考えれば、とんだ世間知らずなわけですが。年収1,000万円では足りない。軍資金も事業計画書もすべては自分で制作しても、それを受けてくださるスポンサーがいらっしゃらない。レイクとか金融機関へプログラムの図面を片手にお金を貸してくださいと打診しますが、こちらの提案書ではお支払いは出来ません。世の中の営業マンの辛さを学びます。汗水たらして働いても、物にならなければお金はいただけません。そんな当たり前が、すっぽりと頭の中から抜けていました。断られて、強くなる。そんな毎日を繰り返します。飛び込みで入った店頭に対して、お金をお支払いしてくださる事業の少なさに脅えながら、眠れない日々を過ごす。起きては、断られて、私は誰からも認められない人生をもう数十年間も継続してきました。恐怖は何もありませんでした。あるとするならば人への恐れです。それから、十年後・・・。時の経過とは思わぬ収穫を与えてくれます。行く先々で「何でもいいから買わせてくれ!」世間の中でいうバブル以後の不況が何度となくこの日本を「襲う。」一番驚いたのは、人がビルの最上階から降ってくるのです。自殺ですね。その頃には、ガラケーは持っていたために、警察と救急へ電話。私は、「人から感謝されない人間である。」助けた人とは思っていませんが、そのご両親は、降ってきた方のご両親ですが、「何で、放置しなかったのか。」悲しそうにいうんです。助けたことが悪のように。何度も金融政策を行うつけが、金融を見続けて来た街並みには腐敗臭のように生い茂っていた。「誰も生きたがらず、誰も死にたがらない。」そんな空気でした。その時思いました。平和がなければ、いいえ。平和な日本がこのような事態を招いているのはどうしてなのだと・・・。一つには、政府の出した金融政策ですが、もう一つには、賃貸が当時は安すぎました。20年くらい前の話です。貸しても貸し倒れが起きてしまう。そんな時代です。銀行の金利はみるみる「無いも同じになりました。」この時思いましたね。人の願いとは、死ぬことなのかと。当たり前なのですが、働いていても寝ていても、何ならサボっていても、みんな同じようにお金を使用します。食べて、飲んで、働き、衣食住をもたらしている。バリアフリーが叫ばれる最中、自分には何ができるのだろうかと模索します。その間にも、何人もの人々が集団自殺したり、事件になるような逮捕劇が飛び交いました。現在という少しでも平和な未来とは、こうした屍の上に立っているのだと思います。みんなが苦労している。みんなが努力している。それに毒づいている人々もいる。いろんな人がいていいんだって。私はいまもそう、思っています。

FIRE(Financial Independence, Retire Early)

text = ("すずりはさくらの本棚の日当は25万円。人の悩み相談は毎日でも無料で受け付け、50万円で一日2、3件は当たり前にこなす。"
        "ITの仕事では年収600万円。仕事をしているという記憶はなく、「気がついたら仕事になっていた」というだけ。"
        "秋葉原と自宅を往復する日々。現在はFIRE(Financial Independence, Retire Early)を達成し、楽な仕事だけをこなしている。")
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隅田川花火大会

 お昼から浴衣にたくさんの方々が、いらしていました。

 ビールも販売しており、お昼に食べたカレー屋さんがおいしかった。

 端のところでは整備が行われており、止まりながら進む。

 百発では足りないほどの花火が上がる。

 夜空にたれた花火の数々。

 ドーンとあがる花火たち。

 乾いた風が支配していた。

 数日前にバックムーンも素晴らしかったが

 月光とは、いつの時代も、光に似た

 影を生じさせる

遠藤さくら 排便と排尿による筋無力症

全身性エリテマトーデス

 

一日中寝ている

 

筋無力症クリーゼ

 

眼瞼下垂「がんけいかすい」

 

冷やしたタオルを瞼にあてがい手当てをする

 

HIV関連認知症

 

脳へ感染する

 

口の中にできる白い斑点「はんてん」

 

カンジタ症(口蓋カンジタ症)

 

陽だまりに輝く琥珀色の葉

 

風に揺れる影が壁を躍る

 

インクの香りほのかに残る

 

花の香り

 

「さらさら」した感触

 

思い出の品に触れる指先

 

時のぬくもりを感じ入る

 

自宅の一室のアトリエのようなマロニエの木々

 

チェストの中では思い出が詰まっている

 

陽だまりの中で映えるマロニエの木々

 

風に揺れるマロニエの木々

 

「かさかさ」と音を立てる

 

チェストの中の思い出は、色褪せて行く

 

写真やほこり、そして、ぬいぐるみたち

 

たくさんの思い出が詰まっている

 

眠りながら、記憶をかいざいする思い出たち

 

記憶の中の断片として揺れている

 

思い出とは霞みながら消えて行くようだ

 

「心の痛み」

 

「心の叫び」

 

本をめくる度に、胸を締め付ける思い

 

痛みを覚える

 

心の奥底から湧き上がる

 

悲しみは襲われたかのようだ

「他人に労わりを示す必用はないことを学びました。嫌いは嫌いといってもよいことを学んだよ。出版社さんから。」

 人があなたの話を本当に聞いている時間とは、わずか2分間です。

その短い時間で人は、「あなたの話を聞くのか」、「あなたの話を聞かないのか」

これを定めます。つまりは人の関心や集中力とは、他人の話し手に対して、

わずか2分間しか時間を与えません。2分聞いてくれたらいい方なのです。

 編集者が、まずあなたに対して伝えることは、本の内容でもなければ、あなたが書いた本の駄目だしでもない。編集者があなたに告げる言葉とは、非常に辛らつでイライラする内容である。ほとんどがこのタイプです。しかし、その内容とは、「あなたに本当に今必要な言葉であること」が多いです。

 本当に重要な会話とは、2分間ですむのである。Xでも140文字以内に伝えるのではないでしょうか?それを読むのに2分間も時間を必要とはしません。あなたは人の時間を奪うのです。それなりの内容でなければ、人は貴重な時間を割くことをしません。

 これは何も編集者だからではありません。世の中の聞き手が聞く耳がないわけではありません。むしろ聞いてくれている方なのです。世の中の人自体が、「あなたの子守役ではない」ことを忘れてはいけません。世間は、「あなたの親ではない」ということです。親がいないのであれば、余計社会とは辛らつな場所になるでしょう。あなたを庇う人はいないからです。そして、社会や世間とは、当たり前ですが、そうしたあまい考えを許す場所ではありません。一刀両断に斬る場所です。「立ち直れない。」や「あんな言い方はない。」などとよく聞きますが、かえって甘い方だと思うべきです。あなたは赤の他人だからです。身内ならば、「何とかしてあげなくては・・・。」などと養う権限をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

 しかし、社会とは世間とは、そうした「あまあまな坊ちゃん、お譲ちゃん」の育成場所ではありません。不登校?だからなんだというのですか?これが社会であり、世間です。大学を卒業しても職がない場所です。あなたの面倒を見る場所ではありません。

 編集者だけではないといいましたが、どのような場所では、きつく、辛らつで、無慈悲な言葉をかけられた経験があるのか?ですが、労働した場所すべてといえるでしょう。派遣業務や飲食店、営業やパチンコ店、新聞社、コンビニ、それは店長になれば余計にお給料が多くなればなるほどに、眠れない、社会性を求められる、大人としての機微「機微とは裏表すべてです。」を含めて、毎日死にたくなるぐらいに責められます。そして、万引きはなくなりません。そうした社会性を通過して二十代、三十代、そこで店長になります。このままでは儲けが出ないと思い転職します。自営業を営み始めてもどの職業でもそうですが、これまで以上に成果は出ません。

 世間や社会はこのようにいいます。「あなたは著名人ではないでしょ?」それが社会です。「お前がわたしの何を知っているんだ?」そう思う頃には四十代です。お給料的には、お家を買えるお金がたまっています。それが大人の責任であり、四十代という節目の年です。それぞれの歳に応じて、節目はあります。それぞれの歳で夢も異なるでしょう。しかし社会はそんなことは知りません。あなたとは今日話したばかりだからです。そんな人に何かを分かち合おうという魂胆が見透かされて、より一層つらい思いをするでしょう。


 劇団に入団しており、過去にどのような成果を上げたとしても、「いまがどうなのか?」それを求められるのが、大人になった証です。わたしは思いました。どうして「中学生」から切符が大人料金になるのか?当たり前のようですが、わからないことだらけです。質問をしなければ誰も教えてはくれません。それが大人になることでした。万引きをすれば、警察へ連行されます。若気の至りですが、そんな時期もありました。そうして、大人とは責任を自分で取る場所なのだと学びました。

 まいにち、毎日、中央線には嫌というほど自殺者が飛び込みます。何回一日に止まるのか?バブルが弾けた次代に育ったわたしには、どこもかしこも生き地獄でした。それでも、「戦争を知らない子供」という分野では救われていたようです。今は何もかもが揃い過ぎていて、逆に与えられないことで自殺する子供は減ったが、餓えて亡くなる子供の変わりにDVや虐待で命を落とすらしいです。どうしてこんなに平和な国に生まれて、親に殺されたり、虐待やいじめで命を落とすのでしょうか。

 今ある未来すらもわからない。それが現在の日本だといえます。

 小説家を目指しても、過去に経験をつんだ実績は、いまのところは何の役にも立ちません。ただし、子役の頃に養った本部長は、社長になられ、本を出したら読むよ。そんなことよりも、仕事に困ってない?役なら与えるよー!といいますが、過去のスキルが役に立たない。TVなどには構成作家がいます。いらぬことをいえば角が立ち、SNSでは、炎上者を祭り上げる。「ほっ」と一息ついている暇があるならば、少しでも寝ておきなさい。これです。

 みんな苦労している。みんな大変です。ITは革命を起こして、確実に住みやすい社会、過ごしやすい時間、お給料は上がり、賃貸のお金だけで、毎日を過ごせる。でも何か違います。時間がないのです。どうしてだか、急がしい。おかしくないでしょうか?政府がいうように住みやすく、賃金は上がり、物価上昇にともない「ウハウハな未来が待っている」はずでした。しかし、時間はなく、お金は湯水のように消えてゆきます。わたしは、別に選挙演説をしているつもりはなく、当たり前を述べているに過ぎません。その当たり前が、まかり通らない未来。それが現在です。

 日本社会は変化を求められて、男の子は台所には入らないが当たり前から、平成になり共働きが増加しています。それならば、安月給は消えて、時間もたくさんあるはずですよね。三十年も四十年も経過しているのに、日本の景気は上がりません。むしろ低迷しています。これを語り始めると切りがありませんが、日銀を信用しすぎボロが出ているのでしょう。黒田総裁時代に使用し続けたイールドカーブ・コントロール「日本の必殺技。逆にいえば致命傷。」。歴史や日本をしれば知るほどに、この国おかしいよと言えるようになり始めた。働き尽くめに働かせて、共働きは増え続けて、子供の数が足りないといわれて、「少子高齢化」を恐れながら十年が経過した。既にご承知のとおり子供の数は増加している。それなのに、何時までも少子高齢化のせい。何も学ばず、何も取り入れない。何も生み出さず、何も増やせない。国民とは政府の奴隷ではない。

 政府のせいにするなといわれて、政党を変えれば見方が変わるのかと思ったが成果は出ない。やっぱりおかしいよこの国は。だから、お金を持っている人たちはどんどん社会に進出するんだよ。残って日本のために、ビザを取れない国民だけが下手を打つ。こんなことは馬鹿だってわかるつーの・・・。

 結局、大人の責任とは、さまざまな責任を自分で決めて、自分で背負うことだと学んだ。何時までも政府だ役人だのせいにしてても馬鹿だからね。もしかしてさ、戦争よりもいまの時代最悪なんじゃないの?

2024年7月23日 弓木奈於さん 1st 写真集 発売日

本日は、乃木坂46 弓木奈於さんの写真集の発売日 でしたー。

 

ということで、撮影した「お写真」を投稿します。

 

時間が変わっちゃう。

 

弓木奈於 1st 写真集 発売日!

 

ここ数日のお仕事の状況を語ろうか

 「記事の内容」を書かないでくださいといわれたので、

 

 「雑誌」や「本」または、「絵本」などの販売に際して、

 

 差し支えることをすっかり忘れており、そのまま書いてしまった。

 

 その後は、「記事の内容」を避けて、書くようにした。

 

 「すずりはさくらの本棚」とは、出版業界も兼ねているために、

 

 「著名人」に出版は「自分」で・・・・・・。

 

 お金があるならば、「出版」は、絶対に自分ですべき。

 

 そういわれたので、そうすることにした。

 

 「ホリエモン」や「その他有名人」

 

 (そんなことはどうでもよい。)

 

 (わたしは、TVをみない。著名人なども興味がない。)

 

 そのために、著名人からの仕事も請け負う。

 

 サムネイルや動画作成。さまざまなお仕事を請け負う。

 

 しかし、まったく興味が湧かない。

 

 ていうか、興味がない。

 

 そのために、ぶっ壊れた女優でも、ウタワナイ、しゃべらない。

 

 その仲間として、「国会議員」になった「著名人」がいたが、

 

 興味も湧かないために、まったく話さなかった。

 

 彼はドバイで逃亡生活を遂げた。その後の行方は知らない。

 

 さて、ここ数日のお仕事の状況を語ろうか。

 

 今日で五日目・・・。

 

 長く続けばいいのだが。それだけを祈っている。

 

 一番長く続いたバイト?正社員?

 

 よくわかんない。でさえも、「二年だ。」

 

 場所は秋葉原だった。本店が当時は秋葉原であり、

 

 さまざまな派遣場所へと向かう。

 

 その後は、ギャンブルでサクラを営む。

 

 一日25万円の日当に、ほかの職業がばか馬鹿しくなる。

 

 それでも、有名にはなりたくて、劇団やホストなどを経る。

 

 ホテトルのお仕事や裏では、電柱に裏ビデオの張り紙や

 

 ダイヤルQ2のテレカ(テレホンカードの略)を置いてくる。

 

 それからは、朝から晩まで働き尽くめだった。

 

 そして、二十六歳。「ホスト業界」にて、新宿界隈で嗜みを覚える。

 

 ライターのお客様へのかざし方が違うというだけでぶん殴られた。

 

 灰皿で「しかもガラスだぞ・・・。」ボコボコにぶん殴られる。

 

 マジでヤクザと変わらない。

 

 ここでだが、かわらないとは「変化」であっているのか?

 

 学がないぶん、社会生活は早めに学んだ。

 

 はっきりいうが、学がないならば、さっさと働いた方がよい。

 

 一億、二億、そして、人生が終わるころには、大卒でも三億稼げればよい方。

 

 そんな時代に、二十代そこそこで十億稼げたのは、寄る年波であろうか・・・。

 

 女子高校生からは、モテたが、俺の人生「嫁はいらねえ!飛行石さ・・・。」

 

 ラピュタの台詞に感銘を受けた。その挙句に、「ポルコ・ロッソ」の台詞。

 

 『飛べない豚は、ただの豚さ・・・。』

 

 に惚れ込んで、女性の経験がない人生を送る。

 

 いまどき、「童貞」も珍しくはない。

 

 女優やアイドルに現「うつつ」を抜かしているように、見せれば道化は出来上がる。

 

 書くことが好きであり、書くこと意外は、何の取り柄もない。

 

 そんな自分が進むべき道とは・・・・・・。

 

 出版も興味はない。書籍化も興味がない。

 

 ならばどうして小説家になりたいのか?

 

 小説家にすら興味がないことに気付かされた。

 

 わたしが恐怖に感じている未来。

 

 それは、何もなく、見失う、牢獄のようでありながら、

 

 自由だけはあり、布団に蹲「うずくま」り、

 

 最悪な人生を送ること。

 

 精神的に病み、夢遊病者みたく彷徨い歩く棺「ひつぎ」。

 

 魂の牢獄とは、わたしのことをいうのだろう。

 

 恋愛にすら興味はなく、人にすら興味なく、自己主張だけは誰よりも強く、

 

 脳みそ腐ってんじゃないの?女性にいわれた言葉だが、的を得ている。

 

 押しかけ女房ではなく、おしかけ旦那。旦那にすらなれない意気地なし。

 

 要は女性を抱くのがこわいのだ。女性に嫌われるのもこわいのだ。

 

 他人に嫌われるくらいならば、最初から好きにならない方がいい。

 

 そうして大人になってゆく。我侭だけを残して・・・・・・。

 

 わたしは今幸せですか?その問いはわからない。

 

 では、わたしは今不幸ですか?おそらくはどん底であろう。

 

 なぜならば、お金はあるのに、三月分も滞納して、住居を追い出されそうだ。

 

 その理由とは、女性の部屋に居座り、帰らないから。

 

 しかし、その相手とは、母屋「おもや」である。

 

 「実家である。」

 

 どうして自分の借家に帰宅しないのか?

 

 不幸が蹲「うずくま」ったような生活。それに嫌気が差したから。

 

 幸せでもなく不幸でもないならば、わたしという物体は何なのだろうか?

 

 いまは、それだけが、心を苛「さいな」んでいる。

 

 母親が老い先短し。

 

 わたしが身罷「みまか」った後に、あなたはどう生活するのかしら。

 

 母親のようにアル中なのか・・・。それとも何かに依存するのか・・・。

 

 女性依存症だけは、避けたい。だから女性とは付き合わない。

 

 セックスへの依存症は、誰よりも自分が、わかっている。

 

 女性に依存したらあっというまに、手元の金は溶けて、東京湾に浮いているだろう。

 

 溺死だけはご免、被「こうむ」りたい。

孤独

きづきとは、与えられたそのときに、覚悟を決めるんだ。

 

そうすれば、未来は必ず広がりを見せる。

 

「笑うな!男の子だろ・・・。」

 

励ましと激励の嵐が過ぎ去る。

 

いま、私は孤独を感じているのだろうか。